試聴ソフト


音を語る難しさ

オーディオで「音楽を聴く」ときには、このような「錯聴」や「個人の経験」が「その人の音の聞き分けを偏らせる」ことをどうしても回避できない。

「同じ音」を聞いても「人によって違う音」に聞こえてしまうのだ。自己満足の殻を破って「音」について談義を交わす時には、この知識を踏まえて「音は同じに聞こえない(聞こえにくい)」ということを覚えておく方が良い。

それを知らずに「押し問答を繰り返しヒートアップする」など愚の骨頂だ。 「音」を語ることは難しいが、「音楽」という「音が織りなす芸術」に「正しい評価」を下すのはさらに難しい。

皆が知る「偉大な作曲家」の多くですら、存命中には高い評価を受けず、彼らの死後に評価が高まったほどなのだ。だから、無理に「難解な音楽」を音の評価に用いることは止めた方がいい。

交響曲は試聴に向かない?

クラシックファンは、試聴に「交響曲」を選ぶ場合が多いようだが、私はあまり感心しない。それは「スコア(楽譜)」の複雑さを考えても推察できる。「交響曲」は、「音」があまりにも多く「それぞれが複雑に折り重なっている」ため「それぞれの音の関係が変化」しても素人耳には「音楽のニュアンスが変わる」ようにしか聞こえない。

「演奏が正しく行われたか」あるいは「間違っているのか」の判定が曖昧で難解なため「演奏の善し悪し」から「音の善し悪し」を判別し辛い。熟練の指揮者でないと「交響曲」を試聴に使って「装置の出来不出来」に「正しい評価」を下すのは難しいだろう。 

「交響曲」は複数のマイク(マルチマイク)で録音されていることが多いが、それも大きな問題となる。装置の音質グレードが低いとオーディオセットは、マイクが拾った「比較的ハイレベルな(大きな)音=楽器の直接音」しか再現しないため多マイク録音の弊害はあまり露呈しない。

 しかし、音質グレードが向上するに伴い「直接音」だけでなく、マイクが拾った「ローレベルな(小さな)音=楽器の直接音以外の音」まで明瞭に再現するようになる。

つまり、「レコーディングエンジニア」が収録しようとした「マイクが向けられている奏者の出す音」だけではなく、「楽器用マイク」が本来は収録してはならない「マイクの位置でのホールの音(残響音)」まで再現し始めるのだ。

すると「収録時のマイク位置でのホールの音」が「楽器の音にまとわりつくように再現」され、結果として、音質は向上しているにもかかわらず「音は濁り」・「定位は悪化」する。つまり、リスナーは、音質変化の「結果」を聞き違えてしまうことになる。 

どうしても「交響曲」を試聴に用いたいなら、「ワンポイントマイク録音の交響曲」を選ぶべきだ。ワンポイント収録」されたソフトでは、音のにじみなどの弊害はほぼ解消され、リスナーの耳が信頼できる場合、正確な「結果」の判定が可能となる。

最近のクラシックは録音が悪い?

大体、最近の「クラシックの録音」は「編集したソフト」が多すぎる。ソロ演奏や室内楽など「奏者が少数の音楽」は言うまでもなく「交響曲」のような「大編成の音楽」まで「編集でミスを隠そう」とする。

確かに「演奏そのものの良さ」よりも「ミスタッチ」は、遙かに聞き取りやすく、子供にも「明確」に聞き取れるから、「商品」として「ソフト」を見た場合、「傷」を隠したい気持ちはよく分かる。それは、ある意味「性能が向上しすぎたオーディオシステム」の弊害でもある。

ラジオ時代は「聞き取れなかった奏者のミス(ミスタッチ)」が音質の向上により聞き取れるようになった結果「ソフトメーカー」は「奏者のミス」を極端に嫌うようになり「編集」で「ミスを隠す」ことが「レコーディング」や「マスタリング」の「主目的」になりつつある。

 

 「編集」で「特定の音(ミスタッチ音)」を「入れ替える」ためには「楽器の音はできるだけ個別に収録」しておく方が具合がよい。そうすれば「演奏を一からやり直す」ことなく「ミスの場所」だけを「後で差し替える(編集)」することができるから、時間とコストを大幅に低減できる。

しかし「演奏の中身」をないがしろにしてまで「傷」を隠して良いわけがない。傷物の「手工品の花器」と傷のない「工芸品の花器」のどちらに魅力を感じるだろう?本当の「芸術的価値」を知るなら、むしろ「傷」があったとしても「中身」が良ければ、その方がずっと良いに決まっている。

「傷を隠す」ための「編集」によって「音楽の純度(音楽の流れ)」は、致命的に破壊される。それは、一筆書きの「書」を「上からなぞって書き直す行為」に等しい。最近のクラシックが「耳には綺麗」でも「心に響かない」のは、奏者の質が低下したためだけではない。ソフト業界のモラルが低下し「編集」や「ミキシング」をあまりにも多用しすぎるためだ。

電気楽器も試聴に向かない?

完璧な「試聴」を行う場合には、自分自身で録音したソフトを使うのが理想なのは言うまでもないが、市販ソフトで試聴を行う場合には、「生楽器(生音)」で構成されるシンプルな音楽を好んで使う。また「多マイク録音」の弊害を嫌って、少ないマイクで収録されたソフトを選ぶが、ライブ録音盤はその条件に合致するソフトが多い。「交響曲」も試聴に供するが、それは試聴の後半になるのが普通だ。 

「音源」を「生楽器」に限定するのも明確な理由がある。例えば「バイオリン」などの「生楽器(アコースティック楽器)」から音が出るとき「楽器」は、決して「自然の物理法則」に反した動きをしない。

裏を返せば「オーディオ装置からでるバイオリンの音」から「物理法則に反するような動き(あり得ない音の出方)」が感じられたら、それは全て「装置の歪み」と認識できるのだ。

この判定法を「会得」できれば「一度も聞いたことがないソフト」でも、かなりの精度で「装置の音質判定」が可能になる。

 「電気楽器(シンセサイザー)系のソフト」を試聴に使うことはない。絶対にあり得ないと言ってもいい。なぜなら「電気楽器」は「発音」に「自然の法則」が適用できないからだ。

「電気楽器」には「基本(基準)となるべき波形」が存在しない。「音波の減衰」も「自然の法則」に沿わない。だから「電気楽器の原音(演奏時の電気楽器の音)」に「装置の歪み」が加わっても「電気楽器の音質が変化」するだけで「その変化」の「絶対的な善し悪し」を判別することは不可能に近い。

結局、音楽は試聴に向かない?

試聴では「直前」と「直後」の音を聞き比べるのが普通である。その時に使う「音源」に聞き慣れた音楽を選ぶ場合には、十分な注意が必要である。なぜなら、前に述べたように「聞き慣れた音楽」は、容易く「学習(記憶)」できるため「錯覚」の原因となる「記憶」を作りやすく「繰り返し聞くと音の差が分からなくなる」からだ。

 では、音楽以外にどのような音源が「音の判定」に適しているかと言えば、私は「自然の環境音」が適していると考えている。例えば、「DELLA」というレーベルの「せせらぎ/NSG-004」というソフトや「波〜慶良間・久米島/NSG-009」などを装置の状態を変えて再生すると、その結果は「臨場感」という「生々しさ(自然さ)の差」として聞き取れる。

「せせらぎ」では、装置の音に何らかの歪みがあると「川の音が人工的」に鳥の声が「電子的」に聞こえ、歪みが減少すると川の音から「季節」が鳥の声から「鳥の感情」まで感じられるようになる。

私たちが普段「無意識」に聴いているように思える「自然の音」は私たちの記憶の奥底、「DNA」にまで「その記憶が組み込まれているのでは?」と思えるほど誰にでも「自然」・「不自然」の「聞き分け」が容易だから不思議だ。 

 さらに、このような「自然の音」は「学習」で身に付いた「比較対象」ではないし、「明確な好き嫌い」も存在しないため「後学習」で身に付いた「音楽をソースに用いた試聴」よりも装置の音の本質を鋭くフェアに暴く。

また「自然の音」は、「同じ繰り返し」が存在しない「音源」であるが故に、繰り返し聞いても「記憶」による「錯覚」を起こしにくい。「せせらぎ」を「早送り」で聞いても「通常速度の川の音」とあまり変わらないイメージで聞き取れる。それは「音波のエネルギー分布」が「非常に均一かつ平均的」で、なおかつ「一定のパターン」をもたず、「音波の均一さ」が「ホワイトノイズ」に非常に近い。

そのため「音のどの部分を切り取っても同様の波形となり」特殊な再生を行っても「通常再生と同じように聞こえる」のだ。 では「一定のパターンを持たない」という理由で「ホワイトノイズ」は試聴に使えないだろうか?

残念ながら「ホワイトノイズ」は、人間にとって「比較すべき原音のイメージが存在しない(自然には存在しない音)」ため「試聴」を繰り返しても、「望む情報(原音に忠実=どちらが生々しいか?)」を得ることができないため比較試聴には使えない。

試聴結果に慎重な理由

その理由には、すでにお気づきかもしれないが、何故こんなにも「試聴に使うソフト」や「人による聞こえの相違」に慎重になるのかその理由を説明したい。 

もう一度、私の言う「オーディオの本質(目的)を思い出して欲しい。それは「交流」であり「会話」である。「音の評価」を「基点」とした「コミュニケーション」こそ「オーディオの原点」であり「終着点」なのだ。

「音の評価」を「自分個人の独断」ではなく「人と分かち合う」ことができて初めて「オーディオ」という「趣味」は生まれる。

人それぞれの「意見」や「想い」を喧々囂々するだけでは意味はない。「交流」を実りあるものにするためにも「基点」である「音の評価の基軸」を「厳格に定義」しなければならない。

いわば「音の評価の基軸」こそ「オーディオにおける共通言語」なのだ。

2004年2月9日 逸品館・代表取締役 清原 裕介


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